葦風の記録105

この年の新入部員は多士済々で、後に花の平成3年組と呼ばれるほど、個性的な奴が集まっていた。

その中でも、会った瞬間から意気投合したのが関西出身のF美修一さん。ああ、この人とは一生の付き合いになるな、と直感したものだ。

彼は在学中の活躍もさることながら、卒業後は関西に戻り、アマ囲碁大阪府代表にまで登りつめた。また当時から何とも言えない人気があり、後にNODICという会員数が数百名の日本最大の囲碁サークルを作り会長に収まっている。

Fさんとは、数え切れないほど対局して、お互い刺激しあいながら成長していった。

ただただ楽しかったよ。

葦風の記録104

それからずいぶん後のこと。

たまたま空手の大山先生の本を読んでいたら、大山先生は若い頃、道場破りをする時は「ここで一番強い人とケンカさせてくれ」と言っていたそうだ。

なんだか発想がわしと同じで面白かったよ。

葦風の記録103

次の日。わしはまた、のこのこと部室に出かけて行った。

昨日の騒ぎは、瞬く間に知られるところとなり「出雲の暴れん坊」が現れたと話題になっていたそうだ。

そんな話を聞きつけて、あるレギュラーの方が腕をさすって待ち受けていた。わしは当時、全国的な知名度はまるで無かった。無名で生意気で無礼な1年坊主にお灸を据えようということだったらしい。

もちろんわしにとっては、相手に不足があるはずもない。相手はあのトンペイ大のレギュラーなのだ。願ってもない対戦が実現した。

 

さあ、結果はどうだったのか。

先輩はうなだれていた。

3時間以上にわたる激戦を制し、わしの勝利となったのだ。わしは執念の技を繰り出し、またも派手に逆転勝ちしたのだ。

2日目にしてレギュラーの1人を破り、この日から「出雲の勝負師」と呼ばれるようになった。

 

葦風の記録102

しかし勝ったとはいえ、ギリギリの勝負であり実際は負けていた碁だった。

さすがはトンペイ大学だ。補欠でこの強さとは、レギュラー5人とはいったいどんな強さなのか。

しかし同時に安心した。わしの力は、大学で通用する。1年間のブランクはあったが、鍛えた腕は錆びてはいなかったのだ。

そう考えると、なんだかワクワクしてきて、次はレギュラーと対戦したくなった。

葦風の記録101

今となっては笑話だが、当時はわしも大まじめだった。若いっていいよねえ(笑

さてその時、「俺が打とう」と言ってある先輩が相手をしてくれた。後で知ったのだが、その方は前年の団体戦の補欠選手だった。

わしの先番で始まった。

わしは誰であろうが、ぶっ倒すつもりで打っていた。しかしさすがに先輩は強かった。局面が進むと、わしの形勢は悪くなっていった。

その時、横の方でこそこそと声が聞こえた。「なんだよ、あいつ大口を叩いた割にはたいしたことねえなあ」

わしはハッとした。そうだ、こんなところで負ける訳にはいかない。集中力を高めるのだ。

そこからわしは持ち直した。先輩の僅かなスキを捉えて、技を決め逆転に成功した。

大学初勝利の瞬間だった。