2019-09-01から1ヶ月間の記事一覧

葦風の記録57

こうして粛々と、新年を迎えていた。 道場では毎年恒例の行事で、1月にはプロ棋士を呼んで練習会を開いていた。師匠の弟子である吉田陽一先生門下の先生たちだった。わしは2子で指導碁をお願いした。 T村プロと、T林プロだった。さて、結果はどうだったの…

葦風の記録56

自分としては満足できる成績ではなかったが、全国4位入賞は別の意味で自信になった。 大きかったのは、関東の高校または超進学校を多数倒したことで、学歴コンプレックスが消え去ったこと。 わしは生まれつき不良なんだよ。仕方がねえんだ。 不良でもなんで…

葦風の記録55

人生初の全国ベスト4入りを果たし、いよいよ日本の頂点が見えてきた。 しかし ここでわしらに 大きく立ちはだかったのが、関西の清風高校だった。清風高校は、当時 池谷選手などを輩出し体操の世界で有名な高校だったが、文武両道の進学校としても知られてい…

葦風の記録54

大勝負だった。 今でもあの時の熱は覚えている。ヒリヒリするような、勝負の熱感だ。 先の戦いではY井さんに助けてもらった。今度は わしの番だ。わしがこの勝負の決着を付けなければならない。 形勢は悪かった。逆転しなくてはならない。なんとしても この…

葦風の記録53

準々決勝に進むと、そこには恐るべき強敵が待っていた。 東京代表の筑波大附属駒場高校である。筑駒といったら、東大進学率日本一とも言われる学校だ。ラ・サールに続き またもや、超がつく進学校との対決となったのである。 しかし、ここまでくるとわしは …

葦風の記録52

そして前年に続いて、3回戦に進出。 これに勝てば、ベスト8が確定する。 待っていたのは、天下の進学校であるラ・サール高校だった。 知名度では、抜群の学校だ。 さて、まずは三将のI上さんが勝利。 続いて、わしが優勢だったので確実に決める予定だった。…

葦風の記録51

高校2年の全国大会。 この時の わしの目標は、関東の高校をぶっ倒すことだった。 チャンスは、以外にも早く訪れた。 1回戦は不戦勝。 2回戦で、いきなり神奈川の高校と対戦した。神奈川は、超激戦区を勝ち抜いた進学校で、優勝候補の一角だった。 対局前、相…

葦風の記録50

こうして充実した状態で、高校2年の夏を迎えた。 この年の団体様のメンバーは、強力なものとなった。 主将・わし、副将・Y井さん、三将・I上さんという小さい頃からの兄弟弟子たちが同じ高校に揃ったのだ。 ドリームチームが出来つつあった。 県予選を圧倒…

葦風の記録49

高校2年になったわしは、相変わらず囲碁の訓練に明け暮れていた。 そんなある日、道場に行って先生に指導碁を打ってもらおうとすると、先生から奇妙な提案があった。 「この碁は、初手を天元に打ちなさい。そしてその後、私のマネをしなさい。機が訪れたら、…

葦風の記録48

碁心が蘇り、わしは夏以降 一生懸命に練習を重ねていた。 ある日、道場で先生に呼ばれた。 「今度、私が審判長をする赤旗囲碁 県大会が開かれる。参加しなさい。」 そう言われた。 当時、わしは一般の大会に参加したことがなかった。学生の大会が楽しくて、…

葦風の記録47

さて、こうしてわしは全国大会に出場した。 今振り返ってみると、個人戦よりも団体戦の記憶が生々しい。わしは1年生ながら主将で、張り切って出場したからだろう。 一回戦は、山形の高校に勝利。二回戦も、札幌の高校に勝利した。 おぼろげではあるが、わし…

葦風の記録46

高校囲碁選手権の県予選が始まった。 まず個人戦で優勝した。 そして1年生ながら主将に収まった団体戦でも優勝。 練習の成果が実り、ようやく光が見えてきた。 この結果には、道場の先生も仲間たちも、とても喜んでくれた。 こうして、わしは仲間たちと全国…

葦風の記録45

こうして生きる目的を見いだした わしは、生活が変わった。 学校にも時間通りに行くようになった。 改めて高校の囲碁部に入り直し、囲碁の練習を再開した。 碁を並べているうちに、だんだんと勘を取り戻していった。 毎日、メキメキと実力が伸びていく気がし…

葦風の記録44

ここで、わしの母校であるI雲高校囲碁部について語りたい。 道場のU先生が長年にわたり指導されていて、多くの優秀な人材が育っていった。 第2回全国高校囲碁選手権では、全国優勝を成し遂げている。その後も入賞回数は多く、山陰の雄として全国的にも名…

葦風の記録43

そろそろ学校辞めて土方でもしようかな、なんて考えていたころ、転機は訪れた。 やはり、わしを救ってくれたのは囲碁だった。 約一年ぶりに、道場に顔を出したのだ。 先生と仲間たちは、変わらず暖かく迎え入れてくれた。わしはなんだか涙が出そうになった。…

葦風の記録42

そんなこんなで、わしはすっかり反抗的で寡黙で扱いにくい学生に育っていった。 (ただ、女子にはよくモテた(笑)) そんなわしを恐れて、友達は誰もいなかった。 授業中は、ほとんど寝ていた。 学校に行くのはおっくうで、遅刻を繰り返すようになった。 担…

葦風の記録41

初日の様子は、よく覚えている。 担任は、英語が専門のちょっとキレイな女性だった。 この人が、言い放ったのだ。 「あなたたちは、県下から選りすぐられた精鋭40名たち、言わばエリート中のエリートです。あなたたちは、学年の、いや県の模範とならなくては…

葦風の記録40

わしは最初の勢いはどこへやら、悩んでいた。だって、こいつらとはケンカにならないもの。同じ土俵に立って戦わなくては、そもそもケンカにならない。(別にケンカ相手を探していたわけではない(^^)) わしとは、会話が成立しないのだ。 昼メシの時も、休み…

葦風の記録39

こうして、ついに高校に合格した。 しかし浮かれていられたのは、始めだけだった。 緊張してクラスに足を踏み入れると、そこには経験したこともないような世界が広がっていた。 理数科というクラスは、今までとまるで雰囲気が違っていた。 異質な空間だった…

葦風の記録38

こうして、高校入試を迎えた。 人生初の受験だが、わしは不思議と落ち着いていた。これはおそらく囲碁の試合で度胸がついた結果なのだろう。 さっさとスラスラ答案を書いて帰ったことを覚えている。やることはやった、結果は天に任せるのみだ。 さて、どうな…

葦風の記録37

都会の人には信じられないかもしれないが、わしは学習塾に行ったこともなければ、公文やベネッセやZ会や通信講座の類も一切やったことがない。 ただ、教科書と学校でもらった教材をバリバリ丸暗記しただけだ。 それでも、点くらい取れる。 要は、どうしても…

葦風の記録36

こうして、体力を活かして猛勉強を続けた。 先生にお墨付きをいただこうが、田舎の中学で1位になろうが、I雲高校の理数科に入れる保証なんかどこにも無かったのだ。 合格の目安は、当時はっきりしていなかった。めんどくせえから5教科で各90点、合計450点を…

葦風の記録35

わしの成績が突然上がったのには、もうひとつ理由がある。 それは体力だ。 わしは、見かけは華奢だが体力があった。なぜか。それは3つの理由があった。 まずひとつ。 小学生の時、通学は徒歩だった。わしの家から学校までは、片道5キロくらいあった。往復で1…

葦風の記録34

先生の話はこうだった。 「I雲高校の理数科といったら、県内最高峰だ。県内で一番賢い生徒が40人集まる。ただ、恥ずかしいかなウチの中学からは、難しすぎてほとんど進学できていないのだ。私は確信した。お前なら受かるから学校の名誉の為に受けてくれ!」…

葦風の記録33

しかしこんな所ですんなり諦めるわしではない。 考えていても仕方ないので、単純に猛勉強をすることにした(笑 中学1年から2年までの教科書と問題集を全部引っ張り出して、とにかく暗記した。英語も数学も理科も社会も、全部だ。朝から晩まで勉強した。 1ヶ…

葦風の記録32

なぜ、停滞してしまったのか。 それは受験が関係していた。 わしは、中学校の成績が悪かった。180人中、160番くらいだったのかな?とにかく、下から数えた方が早かった。 それはそうだろう、だって遊び呆けて勉強なんか全くしていなかったのだ。 最初はいい…

葦風の記録31

中学生名人戦が始まった。 大会というのは、始まってしまうとどれも殆ど同じだ。ただひたすら没入すべし。 強敵だらけだったが、直前の5段戦の三番勝負の経験が活きたようだ。 なんとかかんとか、優勝した。 嬉しかったなあ。 やっぱり、今後絶対に破れない…

葦風の記録30

この年には、もうひとつ忘れられない出来事があった。 それは県中学生名人戦である。 3年生で参加していたわしは、県史上初の三連覇が懸かっていた。 しかしこの年は、I塚さんやI上さん、またO庭さんなど強敵がひしめく状況だった。 誰が優勝してもおかし…

葦風の記録29

そうして、5段戦の三番勝負が始まった。 特筆すべきは、これが人生初の三番勝負だったことだ。 番碁というのは、普通の碁と全く違う。 わしはこの後、人生の節目において何回も強敵と番碁を争うことになるが、幼き日のこの経験が血肉となったのは間違いない…

葦風の記録28

いよいよ5段戦東部予選決勝に進出。 相手は、普段は6段で堂々と打っている(笑)有名な方だった。 結果は。 思いきり吹き飛ばしてやったよ。 わしは、ずるい奴には今も昔も絶対的に強いんだ(笑 こうして東部代表になったわしは、東西の三番勝負に臨むことに…