2019-08-01から1ヶ月間の記事一覧

葦風の記録23

その天才とは、後にわしの生涯のライバルとなるI塚A史さんだった。(これもわしが一方的に思っているだけかも笑) I塚さんは道場に通い始めた頃から、ズバ抜けていた。K本さんに勝るとも劣らない輝く才能だった。とんでもない後輩が現れたと思った。 凄…

葦風の記録22

そうしてK本さんが上京した後、わしは相変わらず好調だった。 中学生県名人戦という大会が新設され、はりきって参加していた。 全中学生が参加する大会だったが中学1年ながら優勝し、2年生の時も優勝して連覇したのだ。 少年少女中学大会も優勝していたので…

葦風の記録21

わしも先生に一度だけ、「専門家になる気はありませんか」とプロに誘われたことがある。先生はよほどのことがないかぎり、弟子にブロは勧めなかったらしいから光栄な話だった。 先生自身もかつては細川千仭門下でプロ棋士を目指しておられたし、また吉田陽一…

葦風の記録20

今では、K本さんとは親友(わしが勝手に思っているだけ笑)だ。 後に、立派なプロ棋士となったK本さんと、いつか本音で話したことがある。 「小さい頃、大社の天才と呼ばれた自分だが、出雲の天才と呼ばれた出雲屋さんには、なかなか勝てなかった。だから…

葦風の記録19

その後も、K本さんと対局する機会があった。一進一退だったが少しだけ、わしが勝ち越していたようだ。 なぜか わしだけには成績が思わしくなかったらしい。 これが、天才K本さんの悩みとなった。 ある日、衝撃的な事件が起こった。 K本さんがプロ棋士を目…

葦風の記録18

天才少年と対局する機会は、案外早くやってきた。 中学生になり、大会で当たったのだ。 この時は年の功で、かろうじて勝った記憶がある。 ただ、既にK本さんの手の見え方はハンパなく、凄い才能だと舌を巻いた。 それから数ヶ月。彼は、道場を訪ねてきた。 …

葦風の記録17

その天才とは誰か。 なにを隠そう、後にプロ棋士となるK本S平さんだった。 道場で、出雲大社の近くにすごい奴が現れたと 噂になっていたのだ。 それも、碁を覚えてたった1年で5段になったという。 あまりに早いスピード。 信じられなかった。

葦風の記録16

小学6年になったわしだが、相変わらず囲碁が面白くてたまらんかった。 1級からも、トントン拍子に昇段して、4段になっていた。 この年の県少年少女大会も、圧倒的に優勝して2連覇を達成。 今より強かったかもしれん(笑 こうして浮かれていた時に、わしの牙…

葦風の記録15

遊び呆けて帰ってくると、またまた面白いことが待っていた。 知能テストである。 当時、小学生の高学年になると強制的にIQを調べるテストが実施されていた。今もやってんだろ。 わしは、なんだよこのくだらねえパズルは、と思いながら、スラスラ解いていっ…

葦風の記録14

そうして、東京で開催された全国大会に出場した。 東京に行くのは初めてで、観るもの聞くもの珍しく、何もかも眩しい気がした。 そんなわけで碁を打ちに行ったのだが、ひたすら観光が忙しかった(笑

葦風の記録13

それから大騒ぎだった。 オヤジは大喜びで「オラ、寿司だ寿司買ってこい!」とわめいて、とんでもねえ高級寿司を持って来させた。しかし、わしは当時ワサビが駄目だったので、「なんだ、オメエ喰えねえのか!」と言ってオヤジがほとんど食べやがった(笑 ま…

葦風の記録12

大会が始まった。 わしは、完全にノーマークだった。 気楽に打っていると、4連勝して勝ち進んだ。 会場がざわついたのを覚えている(笑 5回戦の相手は、前年の優勝者で有名な選手だった。 この碁のシーンは、今でも鮮明に覚えている。 すごく苦しい局面だっ…

葦風の記録11

当時、少年少女囲碁選手権が新しく創設されて、囲碁界は沸いていた。 その県大会に出場するよう、先生に言われたのだ。 わしは、それまで大会というものに参加したことが無かった。 ただなんだか面白そうだったので、素直に出場することにした。 気楽なもん…

葦風の記録10

9ヶ月で1級に昇級したわしは、小学5年生になっていた。 そんなある日、先生から手紙が届いた。 「日々の練習、お疲れ様です。出雲屋くんの対局態度はいつも真剣そのもので、実に立派です。今年は、入段が期待できます。気を引き締めて、練習に励んでください…

葦風の記録9

それからは勢いがついて、毎月1級ずつ上がっていった。 自分では気がつかなかったが、異例のスピードだった。 そして数カ月後、ついに先生に初勝利を挙げた。このときには、黒石は全て生きることができ、さらには先生の石を取ることができるようになっていた…

葦風の記録8

それから1カ月がたった。 その日も、いつものように先生に指導を受けた。 先生とわしとの対局が終わった時、兄弟子たちが周りから局面を覗き込んでいた。 何かが起こった。 そして思わず、拍手が起こった。 そう、わしの黒石は全て生きていたのだ。 兄弟子の…

葦風の記録7

さて、その翌週。 道場に行ってみると、壁にわしのネームプレートが貼ってあった。 「25級 出雲屋」 とあり、いちばんビリだったが なんだか嬉しかった。 一番上を見ると、七段の人が最高位だった。わしは、「あと32級 上がればいいのか」と素朴に思った。 …

葦風の記録6

こうして、わしは地元の囲碁塾に入門することになった。 先生は、地方棋士だった。 初めての日の光景は、今でもよく覚えている。 先生が、学生を相手に三面打ちをされていた。 そして、その隣では学生たちが対局をしていた。皆、真剣だったが、どこか楽しそ…

葦風の記録5

わしのおじさんについても語っておく。わしの母さんの兄、アジョシだな。 これが、まさに伝説のヤンキーなんだ。 中学高校時代、県を完全制覇したのは当然だったらしいが、その後がものすごい。 勢い余って、日本刀を振り回して職員室に殴り込み、即刻退学。…

葦風の記録4

わしの母についても話しておく。 まあ、若い時はとんでもない美人だった。 今でも若い頃の写真を見ると、女優かと見紛うほどびっくりする。 大手の土建屋の社長の長女として生まれ、若い頃はダンプを乗り回していたそうだから、相当にやんちゃだったようだ。…

葦風の記録3

わしのオヤジについて、少し話してみよう。 まあ、想像を絶するすげえ男であることは間違いない。わしよりも、人物的には数段上だろう。 土方一筋で、ずっとやってきた。しまいには、県を代表する土建屋の社長になっちまったから、腕っぷしだけでなく頭も切…

葦風の記録2

わしは小学4年の時、囲碁に出会った。 そのきっかけが、わりと面白い。 それはこうだ。 ある日父によばれて、こう言われた。 「近くに学習塾ができたから、行け」と。 わしが育ったところは、とんでもない田舎で、塾なんて珍しかった。 成績も悪く、わるさば…

葦風の記録1

これまで、破天荒な人生を送ってきた。 何かの機会に、記録を残しておきたいと思っていた。 誰の参考にもならんとは思うが、ブログを再開したこの機会に、つらつらと我が経験を振り返ってみたい。

「出雲屋流」復活

「出雲屋流」を閉めてから、はや5年かあ。 帰ってきちまったぜ。 囲碁の話題を中心に書いていくから、またよろしくな(^^)