2019-01-01から1年間の記事一覧

葦風の記録68

わしの家族では、過去に大学に行った人間はいなかった。わしが小さい頃に亡くなったじいちゃんとばあちゃんは小学校卒だったし、親父どのも農林高校卒だった。大学とはどういうものか、さっぱり分からなかったのだ。 親父どのに「トンペイ大学を受けたい」と…

葦風の記録67

既に9月になっていた。悩んでいても解決しないので、とりあえず赤本を取り寄せて猛勉強することにした。 進めているうちに、高校受験とは訳が違うことに気がついた。青くなった。甘く考えていた。インターネットも無い時代だ。情報も不足していた。 先輩たち…

葦風の記録66

トンペイ大学に入りたいという目標を立てたのはいいが、実際に難易度を調べてみて驚いた! さすがは、旧帝大だ。めちゃくちゃに難しいのだ。 わしは、当時合格するには箸にも棒にもかからない成績だった。しかしこんなことで、あきらめるわしではない。 なん…

箴言2

人間生身(なまみ)だ

箴言1

健康を保ち 焦らず待て チャンスは必ず訪れる

葦風の記録65

こうして、わしの夏は終わった。 そして、進路を決めなくてはならなかった。 入学当初は、土方にでもなろうと思っていたのだが、高校生活を通じて、考えが変わっていった。大学に進学したいと思った。 希望する大学は、一つしかなかった。それは、当時 大学…

葦風の記録64

ここに、ある都市伝説がある。 高校選手権の全国大会は、現在では各ブロックに分かれてリーグ戦を行い、勝ち上がりの学校が決勝トーナメントに進むことになっている。 わしのころは、最初からトーナメントだった。なぜ、変更されたのか。それが、わしらの学…

葦風の記録63

続いて、3位決定戦に臨んだ。 ここでは、大変な強豪校がわしらを待っていた。 東京の開成高校である。 開成といったら、東大進学日本一の超進学校だった。 しかし、もうわしは学校のブランドに惑わされることは無かった。ただ、対局に集中するのみである。 …

葦風の記録62

準決勝の相手は、昨年に続いて清風高校だった。清風は昨年と全く同じ強力なメンバー。3連覇を狙っていた。 わしらは、すさまじい気迫で、対戦に臨んだ。 結果は。 0対3で、敗れ去った。 悔しかった。 しかし、勝負は時の運。 ベストは尽くしたので、悔いはな…

葦風の記録61

今でこそ、高校の全国大会は沢山の種類があるが、当時は高校選手権しかなかった。チャンスは、たったこれだけだったのだ。 唯一のチャンスだったから、わしらが燃えたのは言うまでもない。 高校3年の全国大会が始まった。 1回戦は不戦勝。 2回戦は青森の名門…

葦風の記録60

県大会は圧倒的に優勝した。 これで、団体戦は3年連続の優勝。また主将を3年連続務めたのは過去に1人(第2回全国優勝メンバーのO野さん)だけであり、偉大な先輩の記録に並ぶことができた。 こうして、満を持して全国大会を迎えることになった。

葦風の記録59

高校3年になった。 この年は、わしの人生の中でも忘れられない出来事が多々起きて、波乱の1年だった。 囲碁部では最後の年ということもあり、かつてなく気合いが入った。 それに朗報があった。この年は、部員がたくさん入ってくれた。その中には、I塚くん、…

葦風の記録58

プロの高段棋士に2子で挑むのは、今も昔も無謀に近い。なぜなら、プロは2子ではほぼ絶対に負けないからだ。2子で負ければ、先も危ういという。 しかしわしは、T村プロとT林プロに連勝した。いま調べても、内容が素晴らしかった。高校3年生を迎える前に、神…

葦風の記録57

こうして粛々と、新年を迎えていた。 道場では毎年恒例の行事で、1月にはプロ棋士を呼んで練習会を開いていた。師匠の弟子である吉田陽一先生門下の先生たちだった。わしは2子で指導碁をお願いした。 T村プロと、T林プロだった。さて、結果はどうだったの…

葦風の記録56

自分としては満足できる成績ではなかったが、全国4位入賞は別の意味で自信になった。 大きかったのは、関東の高校または超進学校を多数倒したことで、学歴コンプレックスが消え去ったこと。 わしは生まれつき不良なんだよ。仕方がねえんだ。 不良でもなんで…

葦風の記録55

人生初の全国ベスト4入りを果たし、いよいよ日本の頂点が見えてきた。 しかし ここでわしらに 大きく立ちはだかったのが、関西の清風高校だった。清風高校は、当時 池谷選手などを輩出し体操の世界で有名な高校だったが、文武両道の進学校としても知られてい…

葦風の記録54

大勝負だった。 今でもあの時の熱は覚えている。ヒリヒリするような、勝負の熱感だ。 先の戦いではY井さんに助けてもらった。今度は わしの番だ。わしがこの勝負の決着を付けなければならない。 形勢は悪かった。逆転しなくてはならない。なんとしても この…

葦風の記録53

準々決勝に進むと、そこには恐るべき強敵が待っていた。 東京代表の筑波大附属駒場高校である。筑駒といったら、東大進学率日本一とも言われる学校だ。ラ・サールに続き またもや、超がつく進学校との対決となったのである。 しかし、ここまでくるとわしは …

葦風の記録52

そして前年に続いて、3回戦に進出。 これに勝てば、ベスト8が確定する。 待っていたのは、天下の進学校であるラ・サール高校だった。 知名度では、抜群の学校だ。 さて、まずは三将のI上さんが勝利。 続いて、わしが優勢だったので確実に決める予定だった。…

葦風の記録51

高校2年の全国大会。 この時の わしの目標は、関東の高校をぶっ倒すことだった。 チャンスは、以外にも早く訪れた。 1回戦は不戦勝。 2回戦で、いきなり神奈川の高校と対戦した。神奈川は、超激戦区を勝ち抜いた進学校で、優勝候補の一角だった。 対局前、相…

葦風の記録50

こうして充実した状態で、高校2年の夏を迎えた。 この年の団体様のメンバーは、強力なものとなった。 主将・わし、副将・Y井さん、三将・I上さんという小さい頃からの兄弟弟子たちが同じ高校に揃ったのだ。 ドリームチームが出来つつあった。 県予選を圧倒…

葦風の記録49

高校2年になったわしは、相変わらず囲碁の訓練に明け暮れていた。 そんなある日、道場に行って先生に指導碁を打ってもらおうとすると、先生から奇妙な提案があった。 「この碁は、初手を天元に打ちなさい。そしてその後、私のマネをしなさい。機が訪れたら、…

葦風の記録48

碁心が蘇り、わしは夏以降 一生懸命に練習を重ねていた。 ある日、道場で先生に呼ばれた。 「今度、私が審判長をする赤旗囲碁 県大会が開かれる。参加しなさい。」 そう言われた。 当時、わしは一般の大会に参加したことがなかった。学生の大会が楽しくて、…

葦風の記録47

さて、こうしてわしは全国大会に出場した。 今振り返ってみると、個人戦よりも団体戦の記憶が生々しい。わしは1年生ながら主将で、張り切って出場したからだろう。 一回戦は、山形の高校に勝利。二回戦も、札幌の高校に勝利した。 おぼろげではあるが、わし…

葦風の記録46

高校囲碁選手権の県予選が始まった。 まず個人戦で優勝した。 そして1年生ながら主将に収まった団体戦でも優勝。 練習の成果が実り、ようやく光が見えてきた。 この結果には、道場の先生も仲間たちも、とても喜んでくれた。 こうして、わしは仲間たちと全国…

葦風の記録45

こうして生きる目的を見いだした わしは、生活が変わった。 学校にも時間通りに行くようになった。 改めて高校の囲碁部に入り直し、囲碁の練習を再開した。 碁を並べているうちに、だんだんと勘を取り戻していった。 毎日、メキメキと実力が伸びていく気がし…

葦風の記録44

ここで、わしの母校であるI雲高校囲碁部について語りたい。 道場のU先生が長年にわたり指導されていて、多くの優秀な人材が育っていった。 第2回全国高校囲碁選手権では、全国優勝を成し遂げている。その後も入賞回数は多く、山陰の雄として全国的にも名…

葦風の記録43

そろそろ学校辞めて土方でもしようかな、なんて考えていたころ、転機は訪れた。 やはり、わしを救ってくれたのは囲碁だった。 約一年ぶりに、道場に顔を出したのだ。 先生と仲間たちは、変わらず暖かく迎え入れてくれた。わしはなんだか涙が出そうになった。…

葦風の記録42

そんなこんなで、わしはすっかり反抗的で寡黙で扱いにくい学生に育っていった。 (ただ、女子にはよくモテた(笑)) そんなわしを恐れて、友達は誰もいなかった。 授業中は、ほとんど寝ていた。 学校に行くのはおっくうで、遅刻を繰り返すようになった。 担…

葦風の記録41

初日の様子は、よく覚えている。 担任は、英語が専門のちょっとキレイな女性だった。 この人が、言い放ったのだ。 「あなたたちは、県下から選りすぐられた精鋭40名たち、言わばエリート中のエリートです。あなたたちは、学年の、いや県の模範とならなくては…