葦風の記録75

もちろん今であれば、病院に行って診察を受けて大学に連絡し、受験日の変更を交渉することもできたかもしれない。

ただわしはその時、高熱で考えることもできずひたすら眠りにつくのみであった。

そして迎えた受験当日。

熱はまだ39度以上あったが、吐気はなんとか収まっていた。

わしは、よろけながらも歩いて受験会場に向かったのである。今考えると、何という暴挙だったのか。しかし今も昔もわしの生きる指針は変わらない。

命がけであった。