2019-01-01から1年間の記事一覧

葦風の記録40

わしは最初の勢いはどこへやら、悩んでいた。だって、こいつらとはケンカにならないもの。同じ土俵に立って戦わなくては、そもそもケンカにならない。(別にケンカ相手を探していたわけではない(^^)) わしとは、会話が成立しないのだ。 昼メシの時も、休み…

葦風の記録39

こうして、ついに高校に合格した。 しかし浮かれていられたのは、始めだけだった。 緊張してクラスに足を踏み入れると、そこには経験したこともないような世界が広がっていた。 理数科というクラスは、今までとまるで雰囲気が違っていた。 異質な空間だった…

葦風の記録38

こうして、高校入試を迎えた。 人生初の受験だが、わしは不思議と落ち着いていた。これはおそらく囲碁の試合で度胸がついた結果なのだろう。 さっさとスラスラ答案を書いて帰ったことを覚えている。やることはやった、結果は天に任せるのみだ。 さて、どうな…

葦風の記録37

都会の人には信じられないかもしれないが、わしは学習塾に行ったこともなければ、公文やベネッセやZ会や通信講座の類も一切やったことがない。 ただ、教科書と学校でもらった教材をバリバリ丸暗記しただけだ。 それでも、点くらい取れる。 要は、どうしても…

葦風の記録36

こうして、体力を活かして猛勉強を続けた。 先生にお墨付きをいただこうが、田舎の中学で1位になろうが、I雲高校の理数科に入れる保証なんかどこにも無かったのだ。 合格の目安は、当時はっきりしていなかった。めんどくせえから5教科で各90点、合計450点を…

葦風の記録35

わしの成績が突然上がったのには、もうひとつ理由がある。 それは体力だ。 わしは、見かけは華奢だが体力があった。なぜか。それは3つの理由があった。 まずひとつ。 小学生の時、通学は徒歩だった。わしの家から学校までは、片道5キロくらいあった。往復で1…

葦風の記録34

先生の話はこうだった。 「I雲高校の理数科といったら、県内最高峰だ。県内で一番賢い生徒が40人集まる。ただ、恥ずかしいかなウチの中学からは、難しすぎてほとんど進学できていないのだ。私は確信した。お前なら受かるから学校の名誉の為に受けてくれ!」…

葦風の記録33

しかしこんな所ですんなり諦めるわしではない。 考えていても仕方ないので、単純に猛勉強をすることにした(笑 中学1年から2年までの教科書と問題集を全部引っ張り出して、とにかく暗記した。英語も数学も理科も社会も、全部だ。朝から晩まで勉強した。 1ヶ…

葦風の記録32

なぜ、停滞してしまったのか。 それは受験が関係していた。 わしは、中学校の成績が悪かった。180人中、160番くらいだったのかな?とにかく、下から数えた方が早かった。 それはそうだろう、だって遊び呆けて勉強なんか全くしていなかったのだ。 最初はいい…

葦風の記録31

中学生名人戦が始まった。 大会というのは、始まってしまうとどれも殆ど同じだ。ただひたすら没入すべし。 強敵だらけだったが、直前の5段戦の三番勝負の経験が活きたようだ。 なんとかかんとか、優勝した。 嬉しかったなあ。 やっぱり、今後絶対に破れない…

葦風の記録30

この年には、もうひとつ忘れられない出来事があった。 それは県中学生名人戦である。 3年生で参加していたわしは、県史上初の三連覇が懸かっていた。 しかしこの年は、I塚さんやI上さん、またO庭さんなど強敵がひしめく状況だった。 誰が優勝してもおかし…

葦風の記録29

そうして、5段戦の三番勝負が始まった。 特筆すべきは、これが人生初の三番勝負だったことだ。 番碁というのは、普通の碁と全く違う。 わしはこの後、人生の節目において何回も強敵と番碁を争うことになるが、幼き日のこの経験が血肉となったのは間違いない…

葦風の記録28

いよいよ5段戦東部予選決勝に進出。 相手は、普段は6段で堂々と打っている(笑)有名な方だった。 結果は。 思いきり吹き飛ばしてやったよ。 わしは、ずるい奴には今も昔も絶対的に強いんだ(笑 こうして東部代表になったわしは、東西の三番勝負に臨むことに…

葦風の記録27

わしは自分で言うのもなんだが、すげえ運がいい。人生の節目となるシーン、ここ一番の勝負にはことごとく勝ってきた。 理由はよく分からんが、東郷平八郎みたいに生まれつき ツイてるんだろ(笑 さて5段戦の東部予選が始まった。 厳しい戦いだったが、なんと…

葦風の記録26

中学3年に進級すると、またもや生涯忘れられない出来事が二つ待っていた。 まずひとつは、県各段戦である。 わしは当時5段だった。 道場では、あるルールが決められていて、6段になるには県の5段タイトルを獲得しなければならなかった。 たぶん先生は6段は別…

葦風の記録25

I塚さんが目立っていたので影に隠れてはいたが、この時期に才能ある人材が道場に続々と入門してきた。 それは、後にわしと高校で一緒にチームを組むことになる俊才たちだった。 Y井さん、I上さんである。 Y井さんは、後に山陰本因坊になり またS県のタ…

葦風の記録24

I塚さんは、後に 日本を代表するトップアマのひとりに成長し、山陰本因坊、山陽本因坊、西部アマ棋聖戦優勝(西日本1位)、アマ本因坊全国3位等に輝き、数々の大記録を打ち立てた。県単位でのタイトル獲得数は70を超えているのではないか。 趙治勲先生を尊…

葦風の記録23

その天才とは、後にわしの生涯のライバルとなるI塚A史さんだった。(これもわしが一方的に思っているだけかも笑) I塚さんは道場に通い始めた頃から、ズバ抜けていた。K本さんに勝るとも劣らない輝く才能だった。とんでもない後輩が現れたと思った。 凄…

葦風の記録22

そうしてK本さんが上京した後、わしは相変わらず好調だった。 中学生県名人戦という大会が新設され、はりきって参加していた。 全中学生が参加する大会だったが中学1年ながら優勝し、2年生の時も優勝して連覇したのだ。 少年少女中学大会も優勝していたので…

葦風の記録21

わしも先生に一度だけ、「専門家になる気はありませんか」とプロに誘われたことがある。先生はよほどのことがないかぎり、弟子にブロは勧めなかったらしいから光栄な話だった。 先生自身もかつては細川千仭門下でプロ棋士を目指しておられたし、また吉田陽一…

葦風の記録20

今では、K本さんとは親友(わしが勝手に思っているだけ笑)だ。 後に、立派なプロ棋士となったK本さんと、いつか本音で話したことがある。 「小さい頃、大社の天才と呼ばれた自分だが、出雲の天才と呼ばれた出雲屋さんには、なかなか勝てなかった。だから…

葦風の記録19

その後も、K本さんと対局する機会があった。一進一退だったが少しだけ、わしが勝ち越していたようだ。 なぜか わしだけには成績が思わしくなかったらしい。 これが、天才K本さんの悩みとなった。 ある日、衝撃的な事件が起こった。 K本さんがプロ棋士を目…

葦風の記録18

天才少年と対局する機会は、案外早くやってきた。 中学生になり、大会で当たったのだ。 この時は年の功で、かろうじて勝った記憶がある。 ただ、既にK本さんの手の見え方はハンパなく、凄い才能だと舌を巻いた。 それから数ヶ月。彼は、道場を訪ねてきた。 …

葦風の記録17

その天才とは誰か。 なにを隠そう、後にプロ棋士となるK本S平さんだった。 道場で、出雲大社の近くにすごい奴が現れたと 噂になっていたのだ。 それも、碁を覚えてたった1年で5段になったという。 あまりに早いスピード。 信じられなかった。

葦風の記録16

小学6年になったわしだが、相変わらず囲碁が面白くてたまらんかった。 1級からも、トントン拍子に昇段して、4段になっていた。 この年の県少年少女大会も、圧倒的に優勝して2連覇を達成。 今より強かったかもしれん(笑 こうして浮かれていた時に、わしの牙…

葦風の記録15

遊び呆けて帰ってくると、またまた面白いことが待っていた。 知能テストである。 当時、小学生の高学年になると強制的にIQを調べるテストが実施されていた。今もやってんだろ。 わしは、なんだよこのくだらねえパズルは、と思いながら、スラスラ解いていっ…

葦風の記録14

そうして、東京で開催された全国大会に出場した。 東京に行くのは初めてで、観るもの聞くもの珍しく、何もかも眩しい気がした。 そんなわけで碁を打ちに行ったのだが、ひたすら観光が忙しかった(笑

葦風の記録13

それから大騒ぎだった。 オヤジは大喜びで「オラ、寿司だ寿司買ってこい!」とわめいて、とんでもねえ高級寿司を持って来させた。しかし、わしは当時ワサビが駄目だったので、「なんだ、オメエ喰えねえのか!」と言ってオヤジがほとんど食べやがった(笑 ま…

葦風の記録12

大会が始まった。 わしは、完全にノーマークだった。 気楽に打っていると、4連勝して勝ち進んだ。 会場がざわついたのを覚えている(笑 5回戦の相手は、前年の優勝者で有名な選手だった。 この碁のシーンは、今でも鮮明に覚えている。 すごく苦しい局面だっ…

葦風の記録11

当時、少年少女囲碁選手権が新しく創設されて、囲碁界は沸いていた。 その県大会に出場するよう、先生に言われたのだ。 わしは、それまで大会というものに参加したことが無かった。 ただなんだか面白そうだったので、素直に出場することにした。 気楽なもん…